さようなら、夏。
世の中、知らなきゃよかったことの方が圧倒的に多かったりする。そんな事を考えながら、今日がはじまる。
どうも皆さんこんばんは。フチドリ睫毛です。
ネガティブというよりは悟りに入った私ですが、今日も無事に朝を迎えました。
自分のここ10年ほどの考え方や失敗を振り返って、きちんと向き合えたことはよかったことと思います。長年の違和感に、ようやくピリオドを打ったというわけです。夏の終わりには相応しいのかもしれない。
まぁそういうわけなのですが。とりあえずね、私はね、生きていくしかないのでね。すこしばかり肩の力抜いて、前向きに進んでいきたいものですね。
今日も今日とてあの人の笑顔が消えてくれないとしても。ピアノで不協和音を奏でたあの鍵盤さえも。雨音が泪より静かに消え去ったとしても。
私たちは、「今」を生き抜かねばならない。この世に生を受けた以上、然るべき形であるからだ。
なんでしょうね。私は確かに精神年齢的にクソガキのままだと思うし、身体だけ成熟してしまったことに関しては色々思うことはあるのだけど。
私がここ数日色々経て思ったのは、「不器用を愛せ」ってことですね。
不器用とだけ聞くと、印象的には愛せないと思うでしょう。これは個人的な意見でしかないんですが、器用なひとより不器用なひとの方がずっとずっと愛おしい。
好みの問題?いえそれは少し違います。
不器用なひとだって、器用に生きたいと思っているはずなのです。私含めて。
不器用なひとを見ていると、或いは自分の不器用さを客観的に見ていると、気づくのです。ああ、これもダメだった。違う方法を……
でもね、結論を言ってしまえば。
「いやいやいや、そうじゃないしそこじゃない。あ、そうこう言ってる間にまた別の道行ったわ……おーーーい!」
です。これです。
自分にも言い聞かせること多いし、よくあることではあるのですが……不器用なひとの特徴として、「視野が狭い」が最も言葉的には表しやすいかなと。
例えば、1キロ先にお店があるとします。そこに行かなければならない用事が出来たとします。当たり前ですが、道は沢山ありますよね。危険が伴うけど近道を回ろう、だの、かなり時間はかかるけど回り道してみよう、だの、普通にコツコツ進んでいけば着く道、だの。
その「選択肢」って、沢山転がってると思う。それに気づかないだけで。
不器用なひとは、これを「一本道」しか探せない。或いは見えていない。
要はそういうこと。これが全てというわけではないですが、私の場合おおよそこれであります。学習しろ!笑
白黒思考だし、超絶極端だし…素直じゃないし、かといって曲げないし。
自分でも、よく人間やってこられたなあと、思うくらいには面倒な人間でございます。自虐的な趣味なわけではありません。客観的に見て、道が逸れた時にそんなことばっかしてもがいてきたという話です。
人間誰しも、全部が全部臨機応変に対応出来るわけじゃないし(寧ろ無理)、以前も記事に書きましたが、「ベスト」を探すより「ベター」を探すことが必要なのですよ。
だからこそです。
「不器用を愛せ」と。
変わる気がないのではなく、変化は時間を要するものなので、少しずつ頑張ればそれで100点ですよってこと。むしろ継続することの方が難しいのです。コツコツと、小さなことでもこなしていけたら、続けられたら。それは「自信」に繋がりますよね。
ならばいっそ不器用さを愛してくれ。あなた自身が。あなたが不器用だとしても、あなたの大切な人が不器用なのだとしても。不器用を愛したら、意外とすんなり進むことだってあるのかもしれない。
受け入れましょう。不器用でもいい。
不器用だって個性です。そりゃね、上手くいかなくて挫折しそうになったりもしますよ。
けれど、そんなあなたが見た景色は、どんな色でしたか。きっと全てが悪いものでは無いはず。不器用だからこそわかる「感情」や「世界」が、あったはずなんだ。
少なからず私はそうでした。
上手くいかないことの方が当たり前に多い世の中、不器用なりに走って、転んで這いつくばって立てなくても、進もうと頑張ったり一回休みになったり。それを繰り返しても尚。
私にしか見れなかった「景色」が、それによって生まれる「思い」が。そしてそれが繋がりを広げる「ご縁」が。
行ったり来たりの繰り返し。そんなの誰だってそうだ。不器用を愛したいからこそ、私は私の道を行く。ひとより時間がかかっても、それで得られるものがあるならば。それほど価値のあるものって、他にないんじゃないかな。
と、いうわけでですよ。
私はゆっくり前に進みます。
遠回りでも、なんでもいい。
自分の道を切り開け若人よ。
さあ。
行くのです。
行かなくちゃ。
私は今行かなくちゃ。
自分の目指す場所へと。
幸せにならなきゃいけない。
いつか笑ってそういやそうだって。
受け入れることからはじめてみようか。
さようなら、夏。
また会いにいくよ。
私の小さくて壮大な夏。
消えてしまう運命だとしても。
ほら。
前に、前に。
また新しい場所に。
足を踏み入れた時に。
私はその時に何を思うのか?
それはわからないけれど。
何が待っているのかなんて。
何一つわからないけれど。
その時はまた笑って。
私も生まれ変わって。
また出会うんだ。
大切な何かと。誰かと。全てを。
全部愛せないとしても。
そうなんだとしても。
私はあなたと出会えたことが、
すべてで、一部で、また1から、
好きになったり嫌いになったりを、
繰り返すのかもしれない。
けれどひとつ確かなもの。
また笑顔のあなたに会えたなら
私は幸せです。それだけで。
もし会えないのだとしても。
どうか元気でいてください。
さようなら、夏。
私の夏。
馬鹿だと笑い飛ばしてくれ。
私は、ただただ伝えたかった。
あなたに、私に。大切な人たちに。
ずっと幸あれ。
さようなら。さようなら。
この夏は永遠に、わたしのなかで
ありがとう。
じゃあね。